剛柔流空手道虎優会

宮城 長順

1888年4月25日 - 1953年10月7日)は、沖縄県出身の空手家。空手の四大流派のひとつである剛柔流の開祖。
1888年(明治21年)、現在の沖縄県那覇市東町に生まれた。

11歳で新垣隆功に師事し、その後14歳で那覇手の大家の東恩納寛量に師事する。

1930年、自らの唐手を剛柔流と命名。1934年、大日本武徳会に「剛柔流唐手」と登録。

1953年(昭和28年)、那覇市壺屋の自宅で没した。

山口 剛玄

1909年1月21日 - 1989年5月20 日本の空手家。全日本空手道剛柔会の創始者。
鹿児島県鹿児島市出身。幼少時より薩摩示現流や柔術等の武道を嗜む。14歳から沖縄県出身の丸田武雄より空手を習い始める。

1928年に関西大学に入学するも翌29年に退学。同年立命館大学専門部法科に入学すると、唐手術研究会(のち空手道部に)を創設する傍ら、剛柔流の開祖・宮城長順に師事する。

1937年に、それまでの「唐手術」が「空手道」として大日本武徳会より認可されると、初代師範の任を受ける。またこの頃に宮城長順より“剛玄”の名を拝命し、本土における空手道普及の命を受けている。

1939年、石原莞爾の特務により満州へ渡ると、同年には東亜武道大会の満州代表使節団長も勤めた。2年後には大日本武徳会より錬士号を受ける。

1945年、終戦によりシベリアで収容(シベリア抑留)。
帰国後は台東区浅草に道場を開設すると、宮城長順を名誉会長とする全日本空手道剛柔会を創設した。1951年、宮城より、十段範士の号を授与される。以降も墨田区、文京区やアメリカ・サンフランシスコに道場を開き、1963年には剛柔会全日本空手道選手権を開催。64年に全日本空手道連盟が結成されると、審議委員・元老に就任した。翌65年には、国際空手道剛柔流(IKGA)を結成し会長を務める。

日本国内はおろかアメリカ、東南アジア、オーストラリア等の海外でも精力的に後進の指導に当たり、1969年には藍綬褒章を受章。海外では、その猫のような身のこなしから、"THE CAT"とも呼ばれた。

1989年5月22日、急性心不全のため逝去。後に全日本空手道剛柔会より、"拳聖"の称号が追贈された。

杉本 玄修

昭和20年2月5日-平成26年11月17日

昭和36年11月、墨田区業平剛柔館に入門し山口剛玄最高師範に師事。
昭和47年3月15日、山口剛玄最高師範に全日本空手道剛柔会錬士の称号を授与される。
昭和51年5月29日、山口剛玄最高師範に剛柔流空手道指導者として道場開設の認定証を授与され虎優会設立。
虎のように強く、且つ心の優しい、そんな子供たちを育てたいと、埼玉県越谷市の空き地において子どもたちを集め活動したのが虎優会の第一歩だった。
その後、埼玉県三郷市に本部を置く。
平成21年8月23日、虎優会設立35周年記念式典を開催。
生涯、精力的に空手の発展に貢献した。